春一番


四国では春一番が吹き荒れる今日、父方の祖母を見送ることができました。
避けられぬ自然なこととはいえ、急遽帰省ということで多くの方に迷惑をかけてしまい、申し訳ありません。

このようなお話をするのは憚られますが、不思議なことがあったのと事実を残しておきたいと思い書き記します。

2016年2月12日(金)05:25
静かに息を引き取ったそうです。

その時私は高松を離れて高知におりました。母からの一報で飛び起き、すぐさま高松に向かいました。
いつもは寝つきの良い私が、何故かその日はなかなか寝付けず布団でゴロゴロしていたのです。そして何もないのに、ふと悲しくなって涙が出てきました。ポロポロと涙が止まらず、胸がきゅーっと苦しくなりました。それが12日の02:30頃。その数時間後の出来事でした。
何かを感じたのかもしれませんが、よく分かりません。
そんな不思議な出来事がありました。
自分が不思議な力を持っているかもしれないと不謹慎ながらもちょっと嬉しいです … 笑




祖母は実家から少し離れた国分寺に住んでおり、小学生の長期休みによく泊まっていました。両親が共働きでしたので、日曜日の晩に姉、兄と父の車に乗り国分寺に向かい、金曜日の晩に家に帰ってきていました。夜に走る道がとても切なかったのを覚えています。

祖母は気の強い人でした。昔から勉学も努力を惜しまず、体は弱かったけれど負けず嫌いで、男子が怯むほどの強さだったと良く聞かされました。
泊まりに行くと良くハギの煮付けを作ってくれたのを覚えています。今でも食べたいくらい美味しかった。少し広い庭で庭の手入れを手伝ったり、夏休みの絵の課題として蝉がたくさんとまってる木を縁側で書いたのも覚えています。
気の強い人でしたので、私は少し恐れていてあまり近付いていないので祖母との会話の記憶はポツリポツリですが … (^^;;

その中でも特に覚えているのは母方の祖母が亡くなった時のことです。母方の祖母は毎日のように自転車で15分の道のりを来てくれて、少し帰りが遅かった母の代わりに晩御飯を作ってくれていました。私が一番懐いていたので、納骨の際に「私もお骨をもらいたい」と言ったところ、父方の祖母は「あんたがお骨を持ってたら、あんたのところにも行かなくちゃいけなくて、迷子になるからやめときなさい」と(みたいなことを)言われたことが一番印象的です。その時に初めて仏教の考え方を学んだように感じます。

そんな祖母は7年前に認知症を患っていると気付き、4年ほど前に高松の家で一緒に住むようになりました。
そして約3年前の雨の日、ある事故いや事件がおきました。
私の寝室も祖母の寝室は3階で隣でした。
その頃の祖母は認知症が進み、私の名前はおろか父の名前も分からず、フラフラと徘徊したり、また1人でいるのに誰かとずっと喋ったりなどしておりました。
私はちょうど大学受験もあり少しピリピリしていたのでしょう。寝ようと思っても隣の祖母がずっと独り言を言っていて気になって注意してしまいました。それでも文句を言いながらまだ独り言を続けるので、2階のリビングで寝ようと降りました。3階から祖母が降りてきて、私はうるさいと思い腹を立てていたので、寝たふりをしていました。
おそらく、認知症のせいで1階の玄関と2階の窓と間違えたのでしょう、おもむろに窓を開けたかと思いきや、雨が降る中ベランダに出ました。

「ドスン」

まさかベランダの手すりを登るとは思わず、ベランダに出てから落ちるまであっという間で、間に合いませんでした。

「おばあちゃんが二階から飛んだ!!!」と母を呼びに行き、すぐさま救急車を呼びました。雨が降っていたので毛布を手にとって急いで下に降りていき、おばあちゃんの安否を確認しました。幸い、意識ははっきりしており、背中が痛いと言っていたので背中から落ちたのでしょう。そんな祖母を動かせるはずもなく毛布を掛け、傘をさし、意識が飛ばないようずっと話しかけていました。

「おばあちゃんごめん」「痛いよね、ごめん」そんな言葉しか出てきませんでした。 

不幸中の幸いで頭を打ったりはせず、腰の骨折だけで済んだのですが、高齢ということもあり治りが遅くそれ以来車椅子生活となり自分の足で歩くことができなくなりました。
認知症の患者から運動することを取ればもう病状は悪化する一方。そこから施設に入り、約1年前危篤状態に陥り、そこから点滴だけの生活となり一昨日、息を引き取りました。

私があの時、注意するのを我慢していれば、ベランダに出る祖母を引き止めていれば、施設に入ることはなく ( 認知症は進んだがしれませんが ) 、元気に過ごせたかもしれない、もし頭から落ちてたら私は大切な祖母を殺していたことにるのかもしれなかった … と思い始めれば止まらず、後悔ばかりの日々でした。

自分のせいでという思いしかないです。
後悔してもどうしようもないことも分かっていますが、認知症で家に迎えた時から、病のせいで昔の祖母ではないという先入観から少し他人行儀になり、祖母なのに祖母のように接することが出来なかったことも悔いております。もっと話しかければ良かった、私の名前を忘れていたとしても、一緒に買い物に行けば良かった。こんな思いばかりです。

でも、ずっと悔いても仕方ありません。
すぐに手を差し伸べていれば防げたかもしれない、その後悔を繰り返さないように、生きていきたい。
できる限り愛情を持って、手を差し伸べられるような人になりたい、改めてそう思った出来事でした。

おばあちゃんごめんね
もう伝えることは出来ないけれど、この思いは忘れずに今私が出来ることを後悔しないようしていこう。

気が強くて大きい存在であった祖母は病で見る影もないほど小さくなってしまった。けど最期の顔はとても綺麗で、あまりにも綺麗すぎて涙が出た。

遺影の写真を探してたら見つけた写真。旅行が好きだった祖母。今私が住んでいる高知にもちょくちょく来てたようで、いつの時代のはりまや橋だろうか …

若い時からイカしてた 笑
昔からカッコ良い女性だったんだなあ …

in a twinkle

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